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坂本プロデューサーの『ようこそ、横浜マラソンへ』
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坂本プロデューサーの『ようこそ、横浜マラソンへ!』
坂本プロデューサー

いよいよ本番が近付いてきました。大会プロデューサー坂本雄次による連載がはじまりました。
各回のテーマに合わせて、本人の直筆の書と一緒にお送りします。

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Vol.1 マラソンに挑む!

横浜マラソン2016にエントリーされたみなさんこんにちは!
日々の練習は順調に進んでいますか?

フルマラソンに初めてチャレンジされる方、すでに何度も走られている方、自己記録更新を狙っている方、完走が目的の方などそれぞれの思いで3月13日本番を目指して練習に勤しんでおられることと思います。今回から本番までの5週間、私からみなさんへ横浜マラソンに向けたランニング四方山話をお届けします。四方山話、文字通りランニングにまつわる様々なことをお届けしますので練習の合間にご覧になって本番へのモチベーションアップになさってください。

2007年、東京マラソン・湘南国際マラソンが誕生したことで一気にマラソンブームが全国に広がったことは記憶に新しいところですが「市民マラソン」といわれるマラソンが全国のランニング愛好者に広まり始めたのは一体いつ頃からなのか?みなさんはご存知ですか?

一般的には東京青梅市でおこなわれている「青梅マラソン」がその草分けといわれ、1967年に第1回大会が開催されています。青梅マラソンは、「1964年の東京オリンピックで歴史的銅メダルを獲得した円谷幸吉さんと一緒に走ろう」を合言葉に、開催されたのがその始まりでした。翌年、円谷氏の急逝によって大会名称を変え「青梅マラソン」として現在に至っています。青梅マラソンはフルマラソンではなくロードでの30km走でしたが、当時の一般人には長距離走=フルマラソン、といったくらいの「概念」しかなかったので特段の物議もありませんでした。

その後、一般市民がランニングに目覚め始めたのは1976年頃からで10kmや15kmといった距離の大会がほとんどでした。当時はフルマラソンを完走できる市民ランナーが今ほど多くなかったことや、長時間の交通規制ができなかったことも遠因としてあったのでは?と推測されます。

しかしながら、“自分もマラソンを走ってみたい”、という願望持った方は競技者だけではなく一般市民の中にも潜在的に数多くいたのだと思われ、この頃から急激にランナーも大会も増えていきました。これがいわゆる、”第1次ランニングブーム”です。かく言う私もマラソンのデビュー戦は青梅マラソンの30kmで、ちょうど30歳のときでした。

当時のことを振り返ると、青梅街道に作られたコースは起伏が多く、後半の10kmは筋肉痛に苦しめられ悲惨な思いをしながらゴールした記憶があります。タイムは2時間29分くらいだったと思います。大会が2月に開催されていたため気温も低く、ともかく身体が冷え切ってゴールしたあとは満足に屈伸すらできないくらい身体も固まってしまい、「二度とマラソンはやらないゾ!」と悔やみました。しかし、その後、風呂に入って温まり、疲労も抜けた帰りの車の中では次回のマラソンリベンジが話題の中心になっていましたから実に現金なものです。

このように、私のマラソンデビューは、ホロ苦い思い出がありましたが、30kmを完走した、という心と身体の充実感はその後のランニングライフの「糧」になっていったことは間違いありませんでした。

目標を定めてコツコツ練習する、その結果を大会という場面を通じて確かめる、結果が良くても悪くても自分のなかでは納得できる ランニングはシンプルだけど実に分かりやすいスポーツです。そのあたりが多くの愛好者を生み出す要因のひとつなのではないか?と思います。みなさんはいかがですか?

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